お引越のお知らせ

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noteに引っ越しました。
あ、でもまた帰ってくるかもしれません、別荘みたいなものかな?
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パン工場へようこそ

幼い頃、小学生の三、四年の頃でしょうか、
私は学校の行事の一環の社会見学で、大きなパン工場へ行った記憶があります。大きな建物で、そこに入る前からパンの焼けるいい匂いが辺り一面に漂っていた事を思い出します。
色々なパンが焼かれているだろう、さぞかし夢溢れる景色がその建物の中には広がっているのだろう、
と幼心は揺れていたのですが、
いざ、その建物に入ると、幼く拙い私の幻想は打ち砕かれました。

当初私は、煉瓦造りの内装のなかで、大人数のヒゲのおじさん綺麗なお姉さんが、美味しいパンの焼ける匂いの中、陽気な歌を歌いながら、楽しげに色々な種類のパンをかまどから出している、というような絵本の世界に出てきそうな偏ったイメージを、パン工場には抱いておりました。

しかし、いざパン工場に入ってみると、そこは、コンクリートの床の上に巨大なシルバーの機械が幾つも並ぶ無機質な空間で上から下まで白づくめのユニフォームに身を包んだ人々が的確に動いて、よもやその場所から美味しいパンが生まれて来ているとは幼い私にイメージ出来なかったのです。
まぁ、パン「工場」ですから当然なのですが。

パン工場というのは、こういう所だったのか。
無機質だが、しかしいい匂いで満ち溢れ美味しいパンがシステマチックに大量に焼かれている場所なのだ、と私は「パン工場」というものの認識を改めた事を覚えています。

私が、そのイメージを再び蘇らせたのが、
二十年程前に、母に癌が見つかり手術する時でした。
母の乗るストレッチャーに付き添い、いざ手術室へと向かいます。手術室のシルバーの扉を目の当たりにした時、
何か、変に懐かしい、
というか、
不思議な感情が湧き始めます。
扉がゆっくり開きます。
心細そうに母が、こちらに向かい手を振ります。
扉が完全に開いて手術室の奥の様子が見えました。

「あ、パン工場だ。お母さんはパン工場の中に入って行くんだ。」

小学生の頃の私が、囁きました。
固そうな床の上に、様々な機械が沢山載っております。
その間を白やブルーのユニフォームを着た看護師さんやお医者さんが歩き回っています。
そう、そのとき間違いなく、その手術室は私にとって「パン工場」でした。
母の容態を気にかけていた私は、その時母が「パン工場」に運ばれて行った事で、何か安堵した覚えがあります。

さて、それから十数年経った2014年。私は全身麻酔の大きな手術を受けました。不安いっぱいのまま、手術室に入ります。今度は自分がストレッチャーに乗っているので、周りの様子はよく見えませんでしたが、色々なユニフォームに身を包んだスタッフの方々が挨拶してくれます。
手術台に登った麻酔のまだ効いていない私は改めて周囲の様子を覗き込みました。
やはりそこは「パン工場」でした。
それを見て少し安心しました。
その後の事は、全く記憶にありません。

そして、数年経った、明日、また「パン工場」に行く事になりました。
小学校の時の自分が囁く事でしょう。

「さくぞう、パン工場だよ。」

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入院はバリ島マインドで

さくぞうです。
さくぞうです。
さくぞうです。

こう連呼するのは私がこのブログにエントリーするのが何と二年ぶりという事もあり、その分を必死に(?)取り戻そうとしているからです。
思えばこの二年間、言葉にして自分を省みる時間を持っていませんでした。その時自分の考えている事を言葉にする事は、私にとって今いる自分の立ち位置を改めて再認識する作業で大事なものだったのにこのような体たらく、海より深く反省しております、
と、本当は自分に対して自分が省みれば良い事で人様には関係ないはずですのに、自分の自堕落さを言い訳がましく書いております。

さて長ったらしい言い訳を書いたところで、近況を書きたいと思います。さくぞうは只今、絶賛「入院中」です。ははぁん、入院して時間が出来たからこのブログを再開したんだな、とお思いの方々、まさにビンゴです!

今回の入院は、明後日にちょっとした全身麻酔の手術が控えており、期間はおそらく一週間程になると思われます。

というわけで、本日入院致しました。
自慢にもなりませんが、今まで様々な病気で身体にメスを入れたことは、一度や二度ではありません。いつも同じ病院ですが。しかし入院、手術というと入院前には何時もどこか独特の緊張感があります。

しかし、入院初日、その緊張感を打ち破るかの如し、暇…。激しく暇であります。

病院という空間には、実世界とは違う時間が流れているのだと思います。

まず入院初日は、入院に際しての説明の後、身長体重を測ります。普通なら十数分もあれば終わる内容だと素人には思えてしまうのですが。
まず入院に際しての説明をする看護師さんが来るのをひたすら待ちます。

そして看護師さんが、何かを取りに行き、後で戻って来ます、と言ってカラカラとPCを載せたワゴンを引き連れてベッドを離れます。

???。いつ、何時何分まで待てば良いのでしょう?此方はいつ何時看護師さんがやって来るかと気が気でなく、何をするでもなく、ただボーッとしています。

そして看護師さんが戻って来て、後で身長体重を測る旨を伝えに来ます。
そしてまた去って行かれます。

そして待つ、待つ、待つ。

やっと看護師さんが現れ、身長計、体重計へと誘われ、身長体重を測ります。

そしてまた部屋に戻り、
そして昼食が運ばれて来るのをひたすら待ちます。
いつ来るのだろうか?

待つ、待つ、待つ。

午前中はこんな調子。

しかし、しかしというのも何ですが、午後は何も予定がありません。
誰も現れません。

看護師さんは、私より大変な状況にいる患者さんや様々な患者さんを相手にされていて、看護師さんのお仕事はとても大変なものなのだなぁ、と頭では分かっているのです、
確かに看護師さんには頭が下がります、
しかし、
インドネシアのバリ島のようなゆっくりとした時間の流れに急激に身を投じてしまったようで、え?ここは東京だよな?
と自分の固定観念を拭い去れないのです。


インドネシアのバリ島に行くには、飛行機を長時間乗って、やっと、何となく南国特有のゆったりした時間の流れに身体が馴染んで行き、あぁ、インドネシアのバリ島に来たんだな、と思えます

しかし入院となると、ついさっきまで忙しい東京にいて、病院の受付で細々した書類をチェックされ、
病室に入ると急に、インドネシアのバリ島になります。

もう、これは、飛行機を長々と乗り継いで到着したというプロセスを頭の中から排除して、
プラスチック製の器に入った不思議なご飯(機内食か?)が勝手に運ばれてくる、そんなインドネシアのバリ島に来たんだ、と私は思う事にしました。
ホテルは狭いし、日光は差さないし、白い服を着た人々や点滴を従えている人と多く接するけれど…。
ここは、インドネシアのバリ島なのです、きっと、いや確実に。

明日は、主治医や麻酔科の医師が手術の説明をしに夕方やって来るとの事でしたが、何時に来るとは聞いていません。ちょっと特殊なインドネシアのバリ島に来たんだからしょうがありません。

ヴァカンスを満喫したいと思います。

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いつでも人は「奇妙」になれる。- Bluetoothヘッドフォン編 -

最近、私は外出する度に「奇妙に見える行動」をする人々を目にし、
はたまたこの「奇妙に見える行動」取る人々は何故にこのような「奇妙に見える行動」を取るのだろう?と考えていました。というのは、他人からは目に見えないでも確実に存在する話し相手と話し、時に笑い合う人々の事です。

そのような「奇妙な行動」を取る人を初めて認識したのは、
数年前のある日の人々の押し返す終電に乗り込んで来た東南アシア系の男性の「奇妙に見える行動」でした。
彼は、何か呪文なのか独り言のような言葉を連れがいる訳でもなく、
ひたすら発しています。
私は彼の母国語を知る事もないので、

彼は慣れない異国の地へやって来て、あまりの疲労のあまりについ、母国語を自問自答しているのだろうか?
はたまた、彼は共に日本へ渡って来た婚約者へ最後のプロポーズをするためにその練習をしているのかもしれない。
若しくは、それは彼の信じる「宗教」のおまじないという可能性もある。
私の頭脳では彼がその「奇妙に見える行動」を取る理由を若干の妄想も含めて、想像し始めました。

しかし、想像の最中に彼は次の駅で降りてしまったので、私はその妄想を辞めざるを得ませんでした。

そして暫くして、静かな住宅街を歩いていると、
格好のいい自転車に乗った小洒落たヤングマンが、トボトボ歩いている私を抜き去り際に、
大きな声で、
「ワハハ!ウケるー。」
と爆笑して通り過ぎて行きました。
私はドッキっとし自分の挙動があまりに「ウケるー。」ような「奇妙に見える行動」をとったために彼が私のその様を見て彼が大笑いしたのだ、と、
かなり自意識過剰気味に思い始めました。

さて今度は一人、東京砂漠の真っ只中を歩いていました。
両サイドには、オシャレなハイブランドのお店が並ぶようなオシャレなストリートです。
人々は、それぞれの何処かの目的地へ歩いています。
私も口にするのも憚かるような物を購入するべく道を歩いていました。

すると、その「GUCCI」だか「PRADA」だかの大きなポスターの前で、
やはり「アハハ!ウケるー。」
という声が響き渡りました。
前述の事が続いた私は青ざめて、
やはり自分の行動が「ウケるー。」のかと声の主を探しました。
今度は、小粋なファッションを身を纏ったヤングレディでした。
しかし、よく彼女の様子を見てみると明らかに私を見て笑ってはいないのです。

そう、賢明な読者の方々は、いい加減に気付かれた事でしょう。

彼らに共通していることは、皆、イヤホンやヘッドセットで、
「電話」をしていたのです。
私など、誰も気にしてはいなく、ただ私の目には「見えていない」相手と楽しく会話をしていただけなのです。
自意識過剰にも程があります。

機械にそれほど詳しくはない私ですので、そういう類のものに詳しい友人にどのようなシステムでそのような事が出来るのか尋ねてみたところ、最近ではそのような物で電話をする事が可能なのだ、そういうものが先端のものなのだと諭され購入をするべきとの答えが返って来ました。しかし、頑な私は電話をヘッドフォンなどでするのは返って電話をしている相手に失礼ではないか、と思い「奇妙に見える行動」はすまい、と思っておりました。

そうやって、そのシステムを知った後、私は数々の「奇妙に見える行動」を取る方々を目にして来ました。
ある日見かけたヤングマンは、ヘッドフォンで「電話」をしながら、「Siri」で調べ物をしておられました。
おいおい、そんな態度で電話をしていたら、相手にもSiriにも両方に失礼ではないか、
ともうその方の相手がどうであれ、私の目にはその方が「失礼」で「奇妙に見える行動」を取る方にしか見えなくなっていました。

ところで話は変わりますが、私は今年の夏より「ジム」に通い始めました。
きっかけは、怠惰な生活のあまり弛みきった自分の身体をなんとかしようと考えたからです。
思いの外、体を動かす事は、私にとって気持ちの良いもので、
体も少しずつ、これなら人様の前に出しても恥ずかしくなかろう、という感じになって来ました。

しかし、ここで問題が起きました。
通っている「ジム」のBGMの節操とセンスの無さに私は直面するのです。

一応、音楽プレイヤーを個人の範疇の中で楽しむ事は許されているのですが、
私は、「有線」のヘッドフォンしか持ち合わせてはいません。
「有線のヘッドフォン」では、腹筋運動やマシンを使ったトレーニングをする上て、
邪魔になる事が多いのです。

「ジム」のスタッフがその時の気分で選んだ「YUSEN(ややこしくて申し訳ございません)」のチャンネルを聴き続けるか…。
もちろん音楽に罪はございません。しかし例えばランニング・マシーンで80年代の「Van Halen - Jump」のようなロックがかかっている最中「さぁ、ここからスピードを上げて行こう!」と思った矢先、次の曲が「シャーリーン - 愛はかげろうのように」がかかるのです。(ご存知ない方はYoutubeで聴き比べてください。)

ある時、それに耐えかねているようなあるマッチョなお客さんの一人が、
自分のiPhoneを渡し、「これ、かけてくれよ。」とスタッフに渡しましたが、ペアリングが上手く行かず、
「ジム」に5分近く無音状態が響き渡り、
やっと聞こえて来たのが途切れ途切れの「イーグルス - ホテル・カリフォルニア」だったという、
私からしたら「おいおい、だったらYUSENのままでよくね?」、
という、
最早「ジム」を諦めるか「YUSEN」に希望を託すのを止めるか、
の二者択一の体をなして来ました。

長い脱線でしたが、こうして私は、「ジム」に心地よく通うべくして、
ワイヤレスのBluetoothヘッドフォン「Beats Solo 3」を購入致しました。

Beats Solo 3

このヘッドフォンなかなかの優れもので、一回の充電で約40時間使用可能。
防音設計もしっかりしていて外のノイズは殆ど聞こえません。

そして「電話」も出来ちゃうのです…。

あれ?

試しに友人に電話してもらいました。
左側のイヤーパッドに触れると、通話も簡単に出来ます。
その後、最近大好きな「The Chainsmokers - Something Just Like This」を聴き始めました。

「Oh, I Want Something Just Like This!」

オーマイガッ! ただ聞いていた筈なのに、歌っていた!

一連の私の言動を見ていた友人は一言、こう言い放ちました。

「さくぞう、十分に奇妙な行動取ってる奴にしか見えないよ。」

はっっっっっっっ!

今まで他人が「奇妙な行動」取っていると思っていた自分にこんな落とし穴が待っているとは!

しかし、ここで発想の転換をする事の上手なさくぞうです(というかただ単に自己弁護しているだけですが)、
そもそも「電話」をかける行為を「電話機」に向かって話す事を指す、と誰が決めたのでしょうか。
それでは「コールセンター」にお勤めの方々は「電話をしていない」という事にはなるのでがないでしょうか。
勿論彼ら彼女たちは、ヘッドギアを付けつつ、様々のお客様とお話になっているではないでしょうか?

いつでも人は「奇妙」になれるのです。
「奇妙上等!」「奇妙に見える行動」、結構じゃないですか。
電話をかけるスタイルにもっと自由を!

午前9時に電車の中で快音が鳴り響く

久しぶりのエントリーです。
自分のブログなのに、3ヶ月以上も開かずにおりましたところいつの間にやら、一番上にスポンサーリンクというものが表示されるようになっておりました。

へえ〜。

と、何をすっとぼけた事を書いているのかあまりに怠惰な自分を恥じ入るばかりです。

さて、久しぶりという事もあり、ちょっとライトな「バドワイザー」的な話を書きたいと思います。
「午前9時に電車の中で快音が鳴り響く」というタイトルで書き出しましたが、何だか「銀河鉄道999」に出てきそうなフレーズだなぁ、と自分で思います。
これは、40代位のこのアニメを見た(若しくは原作を読んだ)方々には、特に分かって頂けるのではないか、と思います。

このストーリーをご存知ない方のために、
ざっくり、かなりざっくりですが説明しますと、
星野鉄郎という少年が青年になるまで、メーテルという謎の美女と「銀河鉄道999」という宇宙列車に乗り、様々な宇宙の星で戦い、そして男になっていくというもので、
日本が誇る偉大な漫画家、松本零士先生による漫画、アニメなのです。

さて舞台を、壮大な宇宙から、地球という星の中にある小さい国、日本の東京を走る「山手線」という列車、いや電車の車中に戻しましょう。
それは、ある日平日の午前9時頃でした。ラッシュを過ぎた時間とはいえ、まだ通勤客でごった返す山手線の車中でした。私は新宿から恵比寿まで乗車したのですが、不機嫌そうな乗客達でごった返していました。私も前日の疲れが抜けず、人々に揉まれつつつり革に掴まっておりました。
車中がいつもの朝のように都会の毎日に疲れきった人々でうまっていたのです。新宿を出て代々木に着くまでの間ではなかったか、と記憶しています。

私のほぼ目の前から、

「プシュッ!」

という、あまり朝には聞くことのない、夕方からよく聞かれるようになる、快音が車内に鳴り響きました。

よく見ると、私の斜め前位に座っていた青年が「ビール」を開け、美味しそうにそれを呑んでいるのです。周囲の人は、少し訝しそうに彼を眺めています。

私は彼に対し、非常に好感を覚えました。
彼は、この車内で資本主義社会と戦っているのだ。
そうだ、星野鉄郎が「戦士の銃」を持って機械人間達を撃ち落としていったように、彼もまた決まり切ったルーティンをこなし続ける人間達と戦うために「ビール」「プシュッ!」と開け呑んでいるのだ、と。

彼は夜勤明けのお仕事でちょうど多くの人々の通勤時間が、彼にとっての「オフ」の時間であったのかもしれませんが、私がもし彼の立場であったらどうするだろう。
他人の目を気にしてしまい、飲まずに、自分の目的地の駅まで我慢するか、
いや、
「ビール」を呑みたくなったとしたら、彼のように「プシュッ!」と思いっ切り開けずに、人様に「ビール」を呑もうとしている事を悟られないように、その栓を0.5mm間隔位ずつ開き、「シュシュシュシュシュ」とすかしっ屁のように「ビール」の栓を開くのではないか。
それ位、「プシュッ!」とやるのは勇気のいる行動だと思いました。

最早、彼は「戦士」です。山手線に乗っている疲れ切った人々に、自分は至極の快楽を堂々と享受している、と「ビール」という「戦士の銃」で「プシュッ!」と一発お見舞いしたのです。

私は、その彼が「ビール」を勇壮に吞み干すまでの様を見ていたかったのですが、目的地の恵比寿に着いてしまいました。「戦士」はまさにその名の通り、恵比寿駅に着いても「ビール」という「戦士の銃」を悠々と呑んでいました。

そう、あの日私は「戦士」と出会ったのです。

プロフィール

39zo

Author:39zo
<さくぞう>
こじらせ中年。友達とワイワイ遊ぶのも大好きなので社交的だと思われていますが、他人と会う事で非常にエネルギーを消費してしまうので、基本的に一人が好きです。人混みは本当は好きではありません。ほぼ毎日のように自分に疲れ果てています。

70〜80年代のSoul MusicやDance Musicが好きで恐ろしい数のアナログレコードやCD音源を集めています。多分レコードとCDに埋もれて死ぬのだと思います。
ハッシュタグは、猫、酒、サッカー、ラーメン、花、写真、音楽など。

メール→as1216@jcom.zaq.ne.jp

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